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南インド、ケララでかなりveggyなhealthy life

インド人に嫁いだ日本人から、読んだ方が「私もインドに行ってみたい!」って気分になるような情報を発信してきます。

施しって?インドで考えてみた。

私がインド生活で苦手なこと。
というか日本でも苦手だったこと、それより得意って人はあんまりいないんじゃないのかもしれない。
 
それは、『物乞いへの対応の仕方』
 
私が暮らしているケララ州は、デリーやムンバイなどの大都市よりも断然物乞いが少ないと言われていて、追い掛け回されたり、囲まれたりすることは決してないので、困った経験は全く無いです。
ただ、バス停や道端で時々現地語で話しかけられるくらい。
日本にいた時は、正直、基本避ければいいと思っていました。でも、インドに来てみると、
頻繁に人々がお金を渡してあげるシーンを目撃します。若い人から年配の人まで、小銭を手渡してあげるのです。
もちろん、大多数があげているるわけではないし、完全に無視して通り過ぎる人のほうが多いように見えるのですが、確実に言えるのは、ケララは日本より物乞いに優しいということ。
 
私の旦那アヌーは日本にいる時、時々物乞いにサンドイッチやおにぎりを上げたり、お金を上げたりしていました。しかも、私に隠れて。。一緒に歩いていて、あれ?どこかに消えた、と思ったら、おにぎりをコンビニで買って、渡していたり。
というのも、『日本人はこういうのあまり良いと思わないでしょう?』って思っていたから。
 
そう思われていたことになんとなく納得するところもあり、どう言って良いか分からなくなったり。私は献血とか、募金箱とか、何か災害があった時の寄付とかには経験があるし、抵抗はないのだけれど。。。なんでだろう、
物乞いにはどう接していいのか分からない。怖い。これが正直な気持ちでした。
 
現在、ケララで暮らすようになって給料が下がったアヌーは自分の財布の紐を締めつつも、今は私に隠れることなく、いかんなくその習性を発揮しています。
 
ケース1、『駅の構内』
駅周辺には、比較的物乞いや、貧しい人が集まります。
ある時、駅構内の軽食レストランで食事をしていると、アヌーが3人分のイドリー(南インドの蒸しパン)を注文しました。私が『なんで?3人分?』と尋ねる前に、レジでチャイを注文しているおじいさんに声をかけ、こっちに座るように促しました。
アヌー:「彼は空腹をお茶1杯で満たそうとしているから、朝食あげても良いでしょ?」
 
このおじいさんは、何度もアヌーにお礼をしてゆっくりイドリーを食べてくれました。
そして、アヌーは周囲に見られないように、テーブルの下から10ルピー札をいくつか彼の左手に乗せながら、「夕ご飯はこれで」と囁いて、席を立ち去っていくという。
 
すごく、自然になんでもないように接することが出来て、見習いたいなぁと思う瞬間。
 
ケース2、『バス停』
バス停には、その日暮らしのおじさんや、どこかに移動したくてお金を求める物乞いがたまにいます。ある日、お金を持たずにバスに乗車してきたおじさんがいました。インドのバスにはチケットを販売する係り人がバスの中にいるのですが、お金を払わないおじさんに注意をしてもそのおじさんが何やら言い返してバスの中で、口論が始まりました。
アヌーが立ち上がって、とりあえずそのおじさんにどこに行きたいか尋ね、そのバス代を係りの人に支払って、事をおさめました。
アヌー:「この口論で乗客全員が不愉快になるより、10ルピー払った方がみんなハッピーでしょう?」
 
その無銭乗車のおじさんの言い分は、現地語だったから私には理解できなかったけど、その理由が解釈不可能でもそれでもいいのだと。20円で全員の怒りが収まるなら十分価値があることだと思わない?ということだそうです。
 
思わず、まず無銭乗車のおじさんの正しさを判断しようと思ってしまった私。。
重要なのはそこではなかったんだなぁ。
 
 
ケース3、『映画館』
ある日2人で映画館で映画を観終わった時、席を立ち上がると、10ルピーくらいの小銭が足元に転がってるのを見つけました。
私:「ラッキー♪お金、みーつけた」と、浮かれ喜ぶ私に対して、
アヌー:「これは、これからここを掃除するスタッフにあげようよ。彼らは、観客が食べ散らかしたポップコーンを集めて綺麗にしてくれるんだから。床に置いておこう」
 
私:「はーい(/ _ ; )」(そんなこと、考えつきもしなかった。)
 
物乞いだけでなく、人に優しいってこういうことなんだなと反省した日。
 
アヌーが典型的なインド人とは思わないけれど・・・(少し変わってるかもしれない)
インド人が日本より物乞いや貧しい人に優しい理由として考えられること。
インドにはカースト制があった(今でも残っていますが)ので、インド人全体の理解に貧しい人は生まれた家族環境の理由で貧しさから抜けられないという考えがあります。政治家や一部の上層部などの私腹を肥やしたい、汚職も当然と思っている人もたくさんいると思いますが、多くの人は、生まれた州、生まれた家族、生まれた環境への不条理とか不公平に同情と理解を持っているように見えます。
また、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教のそれぞれのインド人が信仰心が厚いことも、物乞いや貧しい人に優しい理由かもしれません。(あくまでケララの人を中心に考えてますが)
 
まぁ、そんなに人に優しいなら、もっと仕事を真面目にしろよとか、環境にも優しくしろよとか突っ込みたくなることは、もっちろん、たーくさんあります(´-`).。oO
今回はそれは置いておいて・・・・。
 
アヌーに聞いてみた。「どうすれば、物乞いとかに優しく接することが出来るの?」
 
アヌー:「自分がそれで幸せな気分になるかどうかだから、別に自分がそういう気分にならないなら、気にしなくていいんじゃない。僕はそれが好き。でも、君が僕のこの習性をコントロールする。(お金が他人に渡りすぎないようにする)夫婦のバランスはそれがいいんじゃない?(笑)」
 
寄付も手助けも、自分がいい気分になる為にする。やらないといけないとか、そういう人間になるべきという「あるべき型」を作らなくてもいいと思ったらなんだか、楽に思えてきました。
その時、その時の自分の感情でいいんじゃない?