じっ、事件です!(インドの家庭で起こった事件とそこから見えるインド人の考え方)
私が大きな体調の変化もなく妊娠中期、安定期に入ってインドから飛行機に乗って無事に日本へ帰国して、義理の弟、次男ニティンの結婚式も滞りなく幸せな雰囲気に包まれながら行われ、旦那アヌー家にようやく、平穏が訪れたと思った矢先にその事件は起こったのだった。
実はその事件の伏線は、私がインドにいる時から起こっていた。。
義母(アンマ):「最近、時々なんか財布のお金が少なくなっている気がするのよね〜。最初は私の思い違いと思ってたけど、やっぱり、無くなってると思う」
義父(アーチャン):「そう言えば、ポケットにいれていたお金が無くなってたことがあったことがあるなぁ」
私が日本に帰る前8月の初め頃に、2週間アンマがトリバンドラムに来てくれて、私の世話をしてくれた時に、旦那アヌーに話していた。
その時は、アヌーは実家の隣近所が親戚やよく知っている顔なじみだからって戸締りとか怠らない様にという様なアドバイスをしていたみたい。
9月初めに次男の結婚式が終わり、彼が結婚休暇をもらってコーチンでしばらく滞在できるというので、アンマは同じ相談を次男にして、お金を盗む疑わしい人物のことを話したそうです。
そこで次男は、携帯とパソコンを使って簡易の監視カメラを作り、アンマの財布が入っているバッグのある部屋に設置。
そしたら、そしたら、設置した当日になんと、映っちゃったんです。犯人が!!
Σ(・□・;)
アンマのバッグの中の財布からお金を盗んでいたのは、なんと4年もうちで働いてくれているメイド、マンジューでした。。。。。
アンマは事あるごとにマンジューの器用さと、アンマの要望への柔軟性、仕事の手早さを褒め、「私の宝、こんないいメイドはもう見つからない」と褒めるほど、絶対の信頼を寄せていたというのに・・・・。
映像にはマンジューがほうきを持ちながらアンマの部屋に入り、財布を開け、お金が入ってないとわかると、アーチャンの服のポケットや財布を探す行動の一部始終が全て映ってました。この画像をここにアップするとちょっと刺激が大きいのでやめておきますが・・・
家族みんながショックを受けたのはいうまでもありません。どうやら、日常的に100ルピー、50ルピーと少額のお金は盗んでいて、気づかれないと分かると2000ルピーという大きいお金も抜いていたみたい。
私がその話をアヌーから聞いた時、驚きと裏切り行為への怒りでこう思いました。
『そんな犯罪者、そしてアンマを傷つけた裏切り者はブタ箱に入っちまえ!!』
そのくらい頭にきてたから。
まぁ、ブタ箱とは言わずとも、アヌーに言いました。
「もちろん警察に通報するんでしょう?アンマとアーチャンとニティンで、マンジューとまずは話した方がいいと思うけど。」
そしたら、アヌーから私の予想しなかった答えが。
「僕も家族と話してるけど、マンジューは大変なんだよ。旦那はちゃんと働かないし、お金も家に入れないし、2人の小さな子供もいるし、一緒に住んでる旦那のお母さんはマンジューに意地悪だし。だから、マンジューが罪を認めて今まで盗んだお金を返すっていうなら、大ごとにはしない方がいいかなって」
インドに来たばかりの私だったら、『泥棒にそんな優しさ必要??』って思ったでしょう。
でもそう、こういう考え方がインド人にはあるんです。これを寛大と表現したらいいのか、赦す心があるというか。アヌー家だけのことではない気がするのです。悪いことの大小はありますが。。。
インドには昔からカースト制というものがあるからなのか、貧しい人達に対しての思いやりや分配の心がとても根付いていて、社会に分け与える、循環させるという考え方がある様に見えます。メイドを雇っても、使用人を雇っても、その家族の生活まで考えてあげたりすることが見られます。
もちろん、インドには自分の私腹を肥やしたい政治家、医者、公務員、権力者もたっくさんいて賄賂が横行する腐敗した社会もある一方で、実際には、生まれた環境のせいで勉強できない、好きな仕事につけない、貧乏から抜け出せないという人たちに対する理解がある人々がたくさんいます。
例えば、
ケース1
私の友人の家族には、昔から雇っていたその家のおばあちゃん専属のメイドがいました。掃除やおばあちゃんの身の回りの世話はもちろん、話し相手、テレビを一緒に見る友人、そんな関係でした。ある時、そのおばあちゃんが亡くなってしまい、そのメイドはメインの仕事が無くなってしまったのですが、その家族はその後もそのメイドを雇い続けてます。
友人曰く、「このメイドさんも70代だから他では働けないでしょう。だから、今までと変わらず来てもらって適当に掃除してもらってるの。本人が辞めるっていうまで、うちに来てもらうことにしてるんだ。掃除とかすっごく雑だけど・・・」
ケース2
もう一人の友人の家では、ある時少し精神障害のある日雇い労働者がやって来て、家の外(道路)で寝泊まりしていいかと聞いて来たそうです。でも、見た所、害もなさそうだし家の庭内で暮らしていいよと許可を出し、その人を庭に住まわせてるとか。
普通に聞くとちょっと、おいおいって言いたくなる話だけど、この2人の友人の家族が超お金持ちっていうわけではないんです。でも、自分だけが得すればいい、自分だけがいいサービスを受けたいという考えがあまりないというか、広く優しいインド人が垣間見えます。
私はインドでオート(3輪タクシー)の運転手のおっちゃんにぼったくられそうになると、すぐに文句を言って「外国人だからって差別して!」って、日本円で50円くらいの差で怒ったり、ムカムカしたりしていたけど、旦那アヌーには「うちも金持ちじゃないけど、彼らはもっと貧しいんだから、いいじゃん。2、30ルピーくらいで、そこまで不愉快にならなくても・・・」とたしなめられていたものです。
私が学んでいるアーユルヴェーダの先生(日本人)が、今日本は個人個人が自分の利益に走って、損はしたくない、正当な言い方をして自分へのサービスをどれだけ利口に享受できるかという考え方に囚われている、これからは世界中で循環の社会が大きなテーマになっているのに・・・とおっしゃっていたことを思い出しました。
何事も善と悪だけで区別しない、自分だけの得に固執しない、そんなインド人の考え方があります。
写真もなく長々と長文になってしまいました。すみません。
う〜ん、マンジューは今後、どうなるんだろう。
アヌー家はこの件をどう扱うんだろう。